モスクワのクレムリンと赤の広場


クレムリン(ロシア語ではクレムリ)とは、ロシア連邦の首都、モスクワ市の中心を流れるモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿です。ソ連時代には、ソ連共産党の中枢が置かれたことから、ソ連共産党の別名としても用いられました。
赤の広場は、ロシアの首都モスクワの都心部にある広場です。
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概要
ロシア語でクレムリは「城塞」を意味します。中世ロシアにおいて、多くの都市は中心部にクレムリンを備えていました。モスクワの他、ノヴゴロド、ニジニ・ノヴゴロド、カザン、アストラハンにあるクレムリンが有名です。
赤の広場の「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、広場の名前は本来「美しい広場」というものでした。
建築物
モスクワのクレムリンは、南をモスクワ川、北東を赤の広場、北西をアレクサンドロフスキー公園によって囲まれたほぼ三角形の形をしています。総面積は約26ヘクタール。城壁に囲まれた構内には、大小新旧様々の宮殿(パラーダ)、聖堂建築、20の塔(バーシニャ)があります。
グラノヴィータヤ宮殿(多稜宮)
1481年から1891年にかけて建造された宮殿。イタリア人建築家マルコ・ルッフォ(ロッフォ)とピエトロ・ソラーリによります。
テレムノイ宮殿(チェレムノイ宮殿)
英米圏では「テレム(テーレム)宮殿」の名称で呼ばれています。「テレムノイ」とは、古ルーシの言葉で「高級な住まい」を意味すると言われています。1635年から1636年にかけて造営され、16世紀に建設された2階建ての宮殿の上に3,4階が増築されました。
クレムリン大宮殿(大クレムリン宮殿)
1839年から1849年にかけて造営された宮殿。広義のクレムリン大宮殿は、この大宮殿に上述のグラノヴィータ宮、テレムノイ宮殿を合わせたものを指します。全長125メートル、奥行き63メートルの大建築で、外観三階建て、内部二階建てです。
国立クレムリン宮殿(旧クレムリン大会宮殿)
クレムリン大宮殿の北側、トロイツカヤ塔から入城して右側に位置します。ソビエト時代の1959年から1961年にかけて建設されました。ファザードは、ガラス張りで鉄筋コンクリートの直線的な社会主義モダニズム建築です。
アルハンゲリスキー大聖堂
1505年から1509年にかけて建立されました。設計はイタリア・ミラノ出身の建築家アルヴィン・ヌオヴォ。5個の丸屋根を持ち、内陣にはタタールのくびきからロシアが解放された絵やイコンによって飾られています。
生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)
1475年から1479年にかけて建立されました。設計はイタリアの建築家アリストートル・フィオラヴァンティ。大聖堂広場の北側・グラノヴィータヤ宮の北隣に位置し、5つのドームを持ちます。
生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂)
クレムリン大宮殿の東に隣接する瀟洒な聖堂。1484年から1489年にかけて、ロシア・プスコフの建築家たちによって建立されました。
アレクサンドロフスキー庭園
アレクサンドロフスキー庭園は、クレムリンの北西部に沿ってある公立公園です。無名戦士の墓があります。
遺産名 | モスクワのクレムリンと赤の広場 |
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所属エリア | ヨーロッパ > 東ヨーロッパ > ロシア |
英名 | Kremlin and Red Square, Moscow |
登録年 | 1990年 |
登録基準 | 文化遺産 (1),(2),(4),(6) |
出典:フリー百科辞典『ウィキペディア(Wikipedia)』